「終わりと始まり」

「私が死んだら、新潟のお墓を守るのはあなたたちになっちゃうんだから大変よね」

母の先祖のお墓は新潟にあるが、母は都内に自分のお墓を買ったし、自分が死んだあと私たち姉妹に
お墓の管理をさせるのは可哀想だという、母の気遣いからだった。

私のおじいちゃんは、お寺の住職だった。
おじいちゃんの家がお寺だったから、私が小さい頃はお経を唱えるおじいちゃんの横でどんどこ太鼓を叩いてみたり、書を書く横で墨で遊べる、普通とはちょっと違う自慢のおじいちゃんの家であった。

母はというと、小さいころクラスで流行っていた十字架のついた可愛いアクセサリーを買うことも、クリスマス会に参加することも禁止されていたようだし、仏教の教えのもとだいぶ厳しく育てられたとか。
坊主頭に袈裟姿で授業参観に来る父親のことが恥ずかしかったし、寺の娘であることが恥ずかしくて、嫌だったと言っていた。
だけど私から見た母の身近にはいつも「宗教」があって、人生の軸はいつもそれだったような気がする。
お正月、節分、ひな祭り、端午の節句、七五三など四季折々の行事、節目の儀礼、
それから日常生活における細やかな習慣。
そういった慣わしをいつも大切にする人で、人生は功徳を積むこと(感謝の気持ちを伝えたり、自分が大変でも他者を助ける)を意識して生きているような人。

大人になるにつれて私は「面倒くさいな。時間の無駄だよ。それ、意味ある?」と思っていたし、煩わしさも感じていた。
だけど最近は、そんな母の思いを叶えさせてあげることが親孝行のような気がして、付き合ってきた節がある。


今回の墓じまいもまさにそれだった。
最初は母と姉が行くというので、私は行く必要がないよ、と本当は面倒くさかったからそう言った。
母は「おじいちゃんおばあちゃんのお墓参りできるのも、これが最後になるかもしれないんだから、感謝を込めてきちんと手を合わせに来なさい」と言われ、一緒に行くことになったのだ。

とらやに行ってお供物を買うだの、のし紙は結び切りなのか、蝶結びなのか、とか、なんだかいそいそと準備をする母を見てやっぱり「面倒くさいな、どうでもいいじゃん」と思っていた。
前日にはLINEで「明日はせっかくの日なのに、雨だから嫌だわ」とか「明日はよろしくね。遅刻しないでね」という連絡をよこすのだ。
仕事もリタイアして最近は家にしか居ない母にとって、その日はまるで遠足のような、一大イベントだったのだろう。


新潟に着くと雨だった。
墓じまい(墓石を取り壊す)する前に、墓前でお経を唱える住職と一緒になってお経を唱える母。
サビの部分しか分からない私と姉とはちがい、何も見ずに雨のなか30分唱えてた。
その母はどこか誇らしげで、
わたしは「おじいちゃんよかったね」と思った。
実家がお寺であることが嫌でたまらなかった母には、おじいちゃんのお経がしっかりと擦り込まれ、
慣わしや功徳を大切にする生きかたが備わっていた。


お骨を永代供養のお墓に移して、墓じまいは無事に終了。
私は、お墓の前では何でも見透かされてしまいそうな気がして背筋がピンとなったし、墓石から出たお骨を見て、「おじいちゃんとおばあちゃんに会えた」気はして、
終わりという「節目」に来てよかったと単純にそう思った。

東京に着くまで母は何度も「あー、よかった。これでまたひとつ進んだわ」と言った。
永く続いた一つのお墓を終しまいにしたというのに、母はしきりに「進んだ」と言って、次は後継のいないお寺をどうするのかという問題に向かう。

母は、きっと自分の人生のゴールに向かって進んでいる。
私たちに面倒を残さないための母らしい終活が始まっていた。

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