あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい。
どこかで聞いたことのある歌みたいに、心の声に素直に生きてきたら、「何でも屋」と呼ばれるようになりました。
「もっと地に足をつけた方がいい」という言葉は、コロナを境に「時代に合ってるよね」に変わりました。
みなさん、お知らせします。
生きやすい時代が来ました。と同時に、未熟さ・無能さが炙り出される時代の到来です。
新たな時代の幕開け
コロナ禍以降、在宅やワーケーション、副業という言葉をよく耳にします。
そして、webを生業にしている私にたくさんの人からwebについての質問が届きました。
「全然教えるよ」と言いながら、なぜ既にあるレッドオーシャンに飛び込むのだろうかといつも疑問視していました。
AIの進化や技術の発展により誰にでもできる作業は必要のない時代になりました。
私が教える技術は先人が開発し、既に多くの人が習得している技術なのです。
今必要とされているのは技術ではなく発想や遊びだということを知ってください。
つまり、私の自己紹介にあるwebという項目は何かできるということとはほど遠いのです。
そんな自己紹介では何も生まれない時代が来たことをここに報告いたします。
何が求められるのか
ここ数年、”老舗”といわれる会社から求められる機会が増えました。
なぜか?
シンプルに人と違うことをしているから。というのが答えだと知りました。
「不要不急」で多くの制限がかかっていたころ「必要緊急」と屁理屈を言いながら日本を旅し、さらに海外に行きました。
外の情報をメディア以外で知ることのできなかった数年間。「行きたい!」という理由だけで行った旅行が思いのほか、大きな財産になっていたのです。
これまではみ出すことの許されなかった日本では、はみ出すことが必要とされる時代になりました。
常に現状を疑ってください、あなたの正解はみんなにとって不正解なことがたくさんあります。
そんな時代では、あなたは化石としてこの時代をじっと耐えなければならなくなってしまいます。
理想と現実
何かに悩んだ時、ふと目に飛び込んできたSNSの情報が自分の救世主だと感じる時が誰しもあります。
私のような生き方や仕事のスタイルをしてみたいと変わった方も多く、相談を受けます。
騙されないでください。
SNSは自分の都合のいい情報しか載せません。その人を表す一部でしかないんです。
私もその1人で、SNSはキラキラな日々の発信です。ブランディングなんです。
実際、私は何かに特化したスキルは持ち合わせておりません。行動力という一本刀で今の時代を生きる死に損いなんです。
死に損ないの時代は終わった
現36歳の私が主役の時代はとうの昔に終わりました。しかし、私たちが若者のために作る時代が来たのです。
「子供が勉強をしなくて困る」「若者のやる気がなくて困る」、そんなことより『大人が遊びを忘れた』ことの方がよっぽど怖い。
これからを創っていく若者たちに胸張って大人って楽しんだよって言えますか?
遊びを忘れた大人の姿を見たら、若者が我々の想像しない姿になっているのは当然です。それは若者の「こんな大人になりたくないという」という意思の現れではないでしょうか?
何者にもならなくていい、ただ人生を楽しみ、その楽しんでる背中で語っていきましょう。
あなたは何者ですか?
webやってます。の回答に喜ぶのは同業種の方だけでしょう。
職業なんてどうでもいいのです。
あなたの仕事はなんですか?
何を成し遂げたいですか?
「私のお葬式にたくさんの仲間が来てくれること」これが私の仕事です。
たくさんの人たちを笑顔にし、信頼しあえる仲間づくりが仕事なんです。
そのために職業を使って仲間を巻き込み、仕事を全うするための手段としています。
職業において何かができるというのはあくまで手段に過ぎず、あなたの仕事(人生)にとっては些細なものなのです。
何ができるか?ということよりも何を成したいのか。
成したいことのために必要なことを考えてみてください。
何でも屋
まずは、やりたいことないこと、なりたくない自分を書き出してみてください。
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その逆があなたのやりたいことだったり、なりたい自分ということが多々あります。
ちなみに私は、「誰かに時間をコントロールされたくない」というのが最初に出てきた答えでした。
私はwebや映像やデザインなど一通りのことをこなせるのです。あくまでこなせるというだけで、やり遂げることとは違います。
自分でやれば、お金は自分のものとなりますが、代わりに時間を失います。
ここで、「誰かに時間をコントロールされたくない」というなりたくない自分リストが登場します。
私はできることをやらず、できる仲間に任せるという選択をすることにしました。
それは一部ではなく全てです。
つまり今まで「できます」と言っていた何でも屋の私は、いつからか何もできない男に変わったのです。
それでも今だに他人は私のことを『何でも屋』といいます。
私の素敵な仲間達は、
何もできない私を何者かに変えてくれるのです。
遠くへ行きたいならみんなで行け
「明日があると思うなよ」と思う反面、意外と人生は長いものです。
『何もできない』という最も情けない選択をした私は、
何者かに変えてくれる素敵な仲間達に支えられながら、
ゆっくり遠くに進んでいきます。
何ができるかではなく、何をしたいのか。
したいことのために何が必要なのか。
あなた自身が全てをできなくていいんです。
何もできないということ。もしくは何か足りないということが、夢を語る物語の主人公には必須条件なのです。